私の妻と息子は、スマホやタブレットでゲームをやります。
課金はせずに楽しんでいるそうです。
ただし課金しない代わりに広告を見ないといけないとか、色々と縛りがあるみたいなんです。
妻から広告のことを聞かれることがあります。
実際に画面を見せられることもあります。
どんな広告かというと、、、同業のゴッドハンドの先生のセミナーの案内?の広告動画ですね。
妻曰く「この動画見てセミナーに参加する人いるの?・・・」「こんなのを本当に信じる人いるの?・・・」「宗教みたい・・・」「何が変化しているかわからないんだけど・・・」
という感想・・・
妻の話を聞いていて思うのが、同業の先生が「すごい!」と思うポイントと一般の方が「すごい!」と思うポイントは違うんだろうなと思います。
この記事は、そんなことを書き連ねていこうと思います。
施術テクニックはルアーと同じ?
色々なメーカーが色々なルアーを出しています。
売れなくなると色々とコンセプトなんかが変わりますが中身はルアーです。
何が言いたいかというと、人が釣れるルアーと本当に魚が釣れるルアーは違うということです。
「あの先生が言ってたから間違いない」
「あの先生のテクニックだから間違いない」
っていうのは危険です。
「なるほど!そういう事例もあるんですね!」
くらいに留めておいた方がいいと思います。
ルアーなんかでいうと、宣伝用のロケ動画にびっくりするくらい酷い話が流れてくることもあります・・・
あんまり間に受けないほうがいいですよね・・・
同業者が喜ぶ施術テクニックと一般の患者さんが喜ぶ施術テクニックは違うっていうことです。
もし釣れるルアーを持っていて、ロストしなければ基本的に使い続けますよね。
人によってはルアーを買い足すこともしないでしょう。
これではルアーメーカーからすると困るわけです(笑)
どんどんルアーを買って欲しいですよね。
そこで人が釣れそうなルアーを出すわけですね・・・
施術テクニックも同じです。
どんどんセミナーに出てお金を払って欲しいわけですね。
すると、どんどんセミナー告知が過激になって
妻曰く「この動画見てセミナーに参加する人いるの?・・・」「こんなのを本当に信じる人いるの?・・・」「宗教みたい・・・」「何が変化しているかわからないんだけど・・・」
となってしまうのです。
一部のルアーメーカーのやらせ動画も同じですね・・・
テクニックはなんでもいい?
好きなテクニック、自分にあったテクニックで施術することを否定しているわけではありません。
技術の習得に必要な事は同じことを繰り返すことです。
とにかく自分の身体で納得できるまで、とことん繰り返すと言う作業もとても大事です。
ただ、広告の動画の内容のイメージですが、誰でも同じようにできるように見栄えを良くしているイメージなんです。
方法論だけを伝えると言いますか。
「〇〇をやれば〇〇に効きます!」みたいな感じです。
同じテクニックでも、セミナー会場でやるのと、自分の治療院でやるのだと効果は変わってしまいます。
セミナー会場バイアスとでも言いましょうか。
バイアスがかかると、さらに変化しやすくなります。
そういった意味では、テクニックが全てではないし、テクニックよりも大事なことはたくさんあります。
でも、テクニックは大事です。
根気強く技術の習得を目指していれば、疑問に思ったことは自分でも自発的に調べるし、知識も増えてテクニックの幅も広がっていきますよね。
矛盾しているかもしれませんが、技術の習得を目指しとことん繰り返すと、テクニックは大事だけど、テクニックよりも大事なことはたくさんあるという矛盾にも気がつきます。
そういった意味では「もはやなんでもいいんじゃないか?」と言われそうですね 笑
でも、テクニックは大事なんです。
もちろんそれ以外のことも大事です(笑)
ただ個人的に思うことがあります。
お金という対価をいただいているかどうかです。
お金など対価をいただかず、趣味でする分にはいいと思います(多分)
多少は医療っぽいことをしているのでしたら、
非科学的なことを言って、人様からお金をいただいて施術したりテクニックを教えるのは、詐欺師ですよね・・・
詐欺師じゃなくて宗教?
いや趣味でやってもダメかな?・・・
そして非科学的なことを第六感的な方向へ逃げる方が多いですよね。
- 「お腹を触って5秒スキャニングすれば全身の病気の原因が分かります!」
- 「霊が2体ついているのが病気の原因です!」
- 「骨盤が歪んでいるから癌になったんですよ!」
- 「チャクラが乱れているから病気になったんです!」
- 「身体が固くて歪んでいると離婚の原因にもなりますよ!」
- 「足首を3秒触るだけで脳が完璧に整い全ての症状が消失します!」
そんな詐欺師みたいな嘘はダメですよね・・・
なぜ、こんな話が通ってしまうのでしょうか?
これは悪魔の証明にも似た話なんです。
悪魔の証明
この手の方と論争になると
「じゃあそこまで言うなら〇〇が効果がないというエビデンスを出せ!」
となりがちです。
これって無理なんです。
悪魔がいる証明ができないということは、悪魔がいないという証明もできません。
悪魔がいないという証明ができないのなら、悪魔がいるかもしれないというロジックなのでしょう。
この手の議論が噛み合わなくなるのが、批判と否定は違うという根本の部分のような気がします。
こうなると、浅田ドクトリンに近い気もしますが、なんにせよ不毛な論争ですね。
川崎 浩司
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